「こぼれ種」ときいて連想するのはノースポール、ネモフィラ、ビオラ・・とたいていは小ぶりで可憐な花が咲くものではないだろうか。
小さな種が風に吹かれて隣の庭まで飛んでいき、翌春そこで芽生える・・。ポエムのひとつもできそうな光景である。
ところが、ウチに運ばれてきたのは可憐というにはデカすぎる植物「ヤツデ」であった。
たぶん、軽四がやっと通れるほどの路地をはさんだお向かいの植込みからやって来たと思われる。
当初はあまり目立たなかったので、わたし達夫婦はそれほど気にとめていなかったのだが、発芽から約半年が経ちそろそろ無視できない大きさになってきた。いよいよ「ヤツデ問題」について協議しなければならない時が来たのだ。
わたしたちは、傍から見ればのんびりとガーデニングを楽しんでいる「仲の良い夫婦」にみえるかもしれない。しかし・・・、隠れたところでは、庭をめぐってし烈なバトルを繰り広げていたりするのだ。
そもそも、性格の違う二人が「一つの庭を作り上げる」ということにムリがある。
例えば、ダーリンは子供が学校へ持っていくプリントの「きりとりせん」に定規をあてカッターで切るタイプ。一方、わたしは「きりとりせん付近」を折り曲げ、その折曲がった線を手で引き裂くタイプなのだ。
まぁ、この辺の違いは「きっちり野郎」の気がすむように勝手にやらせておけば納得しているので全然問題はないのだが、「趣味の違い」となるとそう簡単には解決しないのだ。
このたびの「ヤツデ問題」はまさに、その「趣味の違い」がカギとなっている。
まず、わたしのヤツデに対する見解は「葉っぱが大きくてインパクトがあるから庭にメリハリがつくので大切にしよう!」というもの。
ところが、ダーリンは「ヤツデって貧乏くさくない?イングリッシュガーデンっていうより、古い長屋の便所の前の植えこみが似合いそう。なんか便所くさそう。」と、全く違うのだっだ。
彼によれば南天も同類で、アロエなんかも「いい線」いってるのだそうだ。そして、そんな便所くさそうな植物に似合う歌は「昭和枯れススキ」だと言い切る。
「昭和枯れススキ」・・・か、「火垂るの墓」ほどでないにしても気が滅入るフレーズである。
この「昭和枯れススキ」攻撃はかなり効いた。やばい、このままでは負けてしまう・・・。
彼がこっそり抜いてしまう前に、なんとか打つ手を考えねば。
そして、ヤツデの階級をせめて「中流家庭」ぐらいに押し上げ、薄幸のイメージを払拭してあげないとね!
さて、問題は戦術である。が、秘策は・・・ある・・・。